昭和の香り、こち亀の記憶
子どもの頃、日曜の夕方は特別だった。
夕焼けが差し込む茶の間で、家族がなんとなく集まり、テレビの前に腰を落ち着ける。そんな時間が、確かにあった。
いつものように座っていたその日、長らく親しんできた『キテレツ大百科』が最終回を迎えた。好きなものが終わるというのは、いつの時代も胸にすきま風を吹かせるものだ。
そのすきまを埋めるようにして始まったのが、『こちら葛飾区亀有公園前派出所』――通称『こち亀』だった。
画面に現れたのは、警察官の制服をまとった、どう見ても常識から外れた男。
眉毛はまるでマジックで描いたように太く、しかもつながっている。声は大きく、動きは乱暴で、まるでゴリラのような体格。
思えば、あれほど衝撃的な第一印象を与えるキャラクターに、後にも先にも出会っていない。
我が家では『少年ジャンプ』より『少年サンデー』が主流だったから、両津勘吉という名を、そのとき初めて知った。
彼は、腹が減ったと、カビの生えた鏡餅を鍋で煮る。そして「彩りが足りん」と言い出し、交番前に植えられていた花をむしり、ためらいもなく鍋に放り込む。
そこへ現れた麗子が怒る。ピンク色の制服が妙に眩しく映ったのを覚えている。
めちゃくちゃだと思いながらも、なぜか目が離せなかった。
日常を逸脱した世界なのに、そこには不思議と人の匂いがあった。
印象的だったのは、オープニングの音楽だった。どこかで聴いたことのあるような、軽快で懐かしいギターの音。
横に座っていた父が、「これ、ベンチャーズだな」と呟いた。
父はギターが好きだった。自分で弾くこともあった。
普段、アニメには目もくれない人が、そのときばかりは最後まで付き合っていた。
私は横目で父の横顔を見ていた。今も、その横顔を思い出すことがある。
『こち亀』は、ただ騒がしいだけのアニメではなかった。
時に、胸にしんと染みるような話があった。
両さんの少年時代を描いた回では、駄菓子屋、縁日、下町の風景――どれも懐かしくて、どこか切ない。
無茶ばかりしている両さんが、その過去だけは、妙に優しい顔をしていたのが印象的だった。
原作者の秋本治は、40年ものあいだ一度も休載せずに描き続けたという。
それは、作品が「日常」の中にあるということを、読者や視聴者に裏切らせなかったということだと思う。
『こち亀』は、あのころの私にとって、たしかに日常の一部だった。
あのとき感じた笑い、驚き、そして時折こみ上げるもの。
それらは今も、夕方の光や、父の横顔とともに、私の中に息づいている。
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